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| Konjiki Yasha (Money demon) |
Konjiki Yasha (Money demon) Feb. 1st

 Last month I had a New Year party staying at Atami New Fujiya hotel. After the dinner party we enjoyed free Kraoke as usual. By chance to stay in Atami I sung an old Japanese Enka which made Atami very famous. It’s a song of Konjiki-Yasha. The novel Konjiki-Yasha was written by Koyo Ozaki in Meiji era about 110 years ago. It had been published serially in Yomiuri paper but it was not completed because of writer’s death. After became the Showa era this story was often made into movies and dramas. The scene in Atami where Kanichi kicks off apologizing former fiancé Omiya became very famous. So I tried to translate the famous relic of this song. 1. Atami’s seaside walking. Kanichi and Omiya are dating. Walking together is the last time today. Talking together is the last time today.
2. Until I graduate university. Why wasn’t Miya-san waiting for me. You felt discontent with me as your husband. Otherwise you want a big money.
3. I didn’t discontent you however, I wished let you study abroad. Obeying my parents’ advice, I’ve married into Tomiyamas.
4. However Miyasan, Kanichi is. A man has a pride. For replacing ideal wife to money. I’m not the man to go abroad,
5. Miya-san, Next year’s same day, at this night this month. My tears will surely cloud this moon. Show you my man’s spirit.
6. My eyes were blinded by diamond. Shouldn’t have married to wealthy man. Behavior is the first thing for human. Money is circulating in this world.
7. Heart breaking Kanichi ,kicked clinging Omiya off. Regrettable tears run down. He remained beach and the moon sorrows.
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| 鎌倉メサイア |
鎌倉メサイア 1月7日

今年で鎌倉メサイアシングアロングは第18回を数える。 今年は希望のホール予約が取れず、新年松の内のメサイアとなった。
シングアロングは毎度おなじみの顔が集まり、今回も約400人の愛好者が練習なしのぶっつけ本番で17曲の合唱を歌った。オーケストラ伴奏は鎌響を中心の鎌倉シンフォネッタである。事前に練習して来るのか皆堂々と、しかも 楽しんで歌っている。毎年の積み重ね効果だろう。年毎に上手くなっているようだ。
チェンバロ伴奏で聴くソリストも、シットリとして素晴らしいかった。ソプラノソロは桐朋大卒の初めての人だが艶やかな声が耳に残った。 この日は新年の合唱歌い初めとなり、また今年も一年ぶりに、千葉より参加の友人と昼食を交え歓談し、お互いの近況を語り合った。昨年の震災体験や旅行予定など・・・。 今年も救世主とハレルヤに肖り、晴れ晴れしい一年になるよう願を込めて歌った。
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| 初詣 |
初詣 1月元旦

正月元旦は雑煮を食べてから、例年どうり氏神様である岩瀬稲荷に詣でた。
町内の宣伝が行き届き、今年は参拝の列が出来るほど賑わっていた。 拝礼をし、お神酒を頂き、その上甘酒に日本酒の注入サービスを受けた。 自宅から歩いて参拝出来、町内会の暖かいもてなしが、参詣者を引き付けているようだ。 昨年は大震災、身内の弔事など、決して良い年ではなかった。円高、欧州経済の不安で景気は低迷し、民主党政権はぐらつき、首相も交代となった。つまり、政治、経済、災害と難儀な1年であった。
今年は辰年。昨年からの難事、低迷が後を引きそうだが、少なくとも今年こそ昇竜の勢いにあやかって上向きの年になってほしいものだ。 辰の絵馬を買い、おみくじを引いたら、中吉と出た。幸せは中くらいが良いと言う事だろう。
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| 家の塗装 |
家の塗装 12月27日

 十年振りに家の外壁塗装をした。 以前から樋の雨漏りが気になっていたので雨樋も併せて全部交換した。築40年近い古家であるが定期的に手入れをすれば一生住める。 南側は日焼けや風当りによる汚れで劣化が早く、破風と霜よけ板は鉄板で覆うことにした。
我が家の外壁は増築と修繕の度に建材が変わり、木材チップ圧縮材、鉄板、サイディングが混在している。 塗装の良し悪しは下地の清掃に尽きるので、業者のクリーニング状況をチェックしたところ、重大な欠陥を発見。何と鉄板に覆われた柱が半分程腐っていたのである。防水シールの不備か、隣接した庭木が原因か解らぬが、大事な通し柱と根太がグスグスにやられている。年明けには別途、柱を一部交換し、補強をしなくてはならない。よくこれで東日本大震災に耐えたものだ。
ともあれ我が家は明るい色に塗り替わり、新年を迎える。
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| 永久の別れ |
永久の別れ 12月18日

姉が亡くなった。 震災の日に入院後、まもなく回復し、家族やヘルパーさんの介護で小康を保っていたが、12月誕生日の1週間後に黄泉の国へ旅立った。享年93歳である。
小生より歳がかなり離れているため、姉と言うより、母親のようだった。小生は15の春に故郷の父母の下を離れて上京し、姉の家から高校に通った。自分の人生の流れは故人によるところが大きい。
姉は親父に似て、苦労も明るさで吹き飛ばし、誰からも親しまれてきた。きゃしゃな体でよく働き、お酒やタバコが好きで、皆と自宅でよく歓談した。今でも姉の家には縁者が頻繁に集まり、賑やかに団らんを楽しんでいる。
姉は夏休みの度に息子を連れて 郷里に里帰りし、小生は年上の甥と兄弟のように遊んだものだ。 姉の人生も親父と二重写しとなるところが多く、波乱の人生を残すことなく生き抜いた。 葬儀には郷里から姪の三姉妹が上京。久しく50年来の想い出が甦えり、遠い昔にタイムスリップした。 姉は誰にも良い思い出を残してくれた。93歳まで生きれば天寿全うである。
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| 湯本温泉 |
湯本温泉 11月17日

久々に箱根のお湯でくつろいだ。今回は家内の姉の快気祝いも兼ねて4人で一泊した。 宿は湯本駅にほど近い「春光荘」と言う古い旅館である。
宿の案内によると、曽我兄弟の生家が離れとして隣接している由緒ある宿だそうだ。草ぶき玄関の前に竹の植え込みがあることから「雀のお宿」と呼ばれているようだ。 山の斜面を利用した古い旅館であるが、なかなか風情があり、料理も特色のないホテルバイキングより手の込んだ季節地場料理がとても美味かった。
翌日は北条五代の墓がある早雲寺を散策。綺麗に掃除庭木の手入れが行き届いた静かな寺である。 北条は武田、上杉と並び立ち、関八州を治めるに至った戦国の雄である。北条早雲については著書も少なく、あまり馴染みがないが、いつか大河ドラマで扱って欲しいものだ。
帰りは秀吉の小田原攻めで有名な石垣山一夜城を見学。実際には築城に80日くらいかかり、周囲の樹木を一夜の内に切り払った事から、一夜城と呼ばれたそうだ。頂上の城跡からは眼下に相模湾と小田原城が遠望できる。最近開業したばかりのレストランが賑わっている。
天下の険、箱根を境にした東国の入口は要塞となる史跡が多いようだ。

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| 芋掘り |
芋掘り 11月1日


6月末に植えた市民農園のサツマイモ(さわら金時)の苗はグングン延び、収穫の時となった。 サツマイモは痩せ地で石灰の中和も不要と聞いていたので、黒マルチシートを被せただけで、水も肥料も控え、延びすぎた蔓は適宜切り取った。 これ等が多少功を奏し、茎を引っ張ると、大小のイモが芋づる式に現れた。この瞬間は魚を釣り上げた時の快感である。
子供の頃、郷里(渥美)でよくサツマイモをキンコ(干し芋)にし、火鉢で焼き、フーフー冷ましながらよく食べたものだ。小学校の畑でも授業として栽培し、芋掘りに興じて大怪我をした思い出がある。 終戦後は貴重な食料であり、日本人の飢餓を救った。サツマイモは東南アジアから琉球を経て鹿児島に伝わり、「九里より美味い十三里」とも江戸の昔から呼ばれている。 これは9里4里うまい13里(9+4=13)の意味で、サツマイモの産地である川越が江戸から13里でもあるそうだ。 我が家ではサツマイモを味噌汁に入れてよく食べる。
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| Steve Jobs |
Steve Jobs・・・・・・・ Oct.19th
 the charismatic co-founder of Apple computer died on Oct.5th at age 56. It is just a day after the release of new i-phone 4s model. He suffered from a recurrence of the pancreatic cancer which he had undergone surgery 7 years ago. Then he resigned as Apple’s CEO last august.
He co-founded Apple computer when he was just 21 and turned his company into one of the world’s great technology companies. Now Apple has become the No.1 stock evaluated asset company exceeded Exxon mobile.
The first Apple computers were called hobby computers, then went from ‘hobby’ to ‘home’. He applied first mouse-driven graphical interface for his Macintosh computers. This man-machine philosophy also extended to the later products. i-phone, i-pad which can be operated by touch LCD.
I think his first impressive achievement is i-pod portable music player. His company advanced into consumer electronics and music distribution business. We can easily down load the prefer music into tiny digital gadget from i-Tunes store even a piece of music with low cost.
This i-pod and i-Tunes system has not only exceeded Sony walk-man but also influenced the sales of declining music CD.
Next innovative magic is i-phone, a multi touch display cell phone and i-pad. He eventually provided pocket-sized mobile PC with phone and triggered smart phone boom. i-pad tablet computer is going to change publishing world. Paper books or newspapers would be replaced by electric media. Steve Jobs has run quickly through the technology world but he has really led us to a revolution of cyber-age.
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| インド旅行(5)デリー |
インド旅行(5)デリー 10月4日

最終日はアグラからデリィーに戻り、ガンジー記念博物館を見学。そこは現代インド建国の父、非暴力運動のガンディーが暗殺された現場の足跡が記されモニュメントになっていた。 お昼は待望の中華料理、そして最後はインド人の生活が垣間見える家庭訪問を体験。インド紅茶と名物サモサを味わった。 短期間の上、北インドのほんの一部を廻っただけだが、多くの体験をした。
インド旅行の感想をまとめて拙い英文にすると・・・
Namaste India!
I’ve been longing for to see this mysterious and rapid developing country . India is 2nd largest 1.2 billion populated country and its land aria is 7th large in the world. India is multi-lingual and multi-ethnic society.
We attended JTB’s economical tour which visits northern 3 cities of India called golden triangle, Delhi, Jaipur and Agra.
When we got out Delhi airport at first, a stray dog was approaching to welcome us. As I’ve heard, India is the animal-friendly country. I saw many animals everywhere in the tour.
I saw cow, camel, elephant, horse, pig and so many. They were walking or searching for food along roadsides. Most streets were dirty and filled with littered trashes. I thought roadsides are their important places where many people do everything, street vending, eating, sleeping, chatting, even using there as toilet.
India has a long history and multi-cultured nation. So many races, religions, languages coexist together. We visited various Islam and Hindu castles, tombs. Among them white Marble mausoleum Taj Mahal was a really breathtaking architecture. It was built by Mugal emperor in memory of his third wife about 350 years ago.
As for Indian dish, I could afford to eat hot spicy foods, some curry taste dishes and chicken were delicious but I couldn’t find curry rice. We didn’t need instant Ramen or Okayu brought from Japan.
It is said that India’s impression is separated extremely different by person. One traveler says I never want to go India, while another say I want to go there again and again. Which one shall I be? Of course I am a latter one. Viva India!

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| インド旅行(4)アグラ |
インド旅行(4)アグラ 10月3日


翌朝、ジャイプールからバスは東のアグラに向かう。 途中、ムガル朝の造ったイスラムとヒンドゥーが混じり合ったファテーブルの遺跡を見学。赤い砂岩の広々としたモスクと宮廷である。
午後はいよいよ、ツアーの目玉、タージ・マハルの見学である。ヤムナ河畔に建つ純白大理石のタージ・マハルは350年の歳月を経た今でも夢のように美しい。また朝夕の陽光に染まる白亜の朝廟も素晴らしいそうだ。
ムガル朝、第五代皇帝が三番目の妃のために建てたお墓なのだ。 ムガルはモンゴルに語源を発し、中央アジアから北インドに侵攻しムガル帝国を築いた蒙古騎馬民族のようだ。 インドにはイスラムの残した偉大な遺産が多い。しかしインドはヒンドゥー教が多いが、仏教、イスラム、ジャイナ、スク、キリスト教と正に神々の寄り集まった不思議な国である。
 同じヤムナ河沿いにそびえる赤い砂礫のアグラ城は眺めが良く、タジ・マハルが遠望できる。 ムガル帝国は太平の世が続き長く繁栄したから、立派な建物が多いようだ。
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| インド旅行(3)ジャイプール |
インド旅行(3)ジャイプール 10月2日

 ジャイプールのホテルはリフォーム中だったが、Aクラスのスーペリアホテルのようだった。 ここで朝食前にインド発祥の「ヨガ」を体験をした。 ン10年前に三島の沖ヨガ道場での合宿鍛錬とは比べようにないが、インド人による本場ヨガのさわりに触れた。 本日の観光は、彫刻を施した「風の宮殿」、シティーパレス、280年前に造ったジャンタルマンタル天文台、岩山の頂きに象神を祀ったガネーシャ門のアンベール城である。当日はガンジーの誕生日とヒンズーのお祭りで、アンベール城は参拝の人々が列をなしていた。ジープで城を下った後は、織物店でサリーの着付け教室(女性のみ)と続く。 インドの殆どの女性は色鮮やかなサリーを着ていて、汚れた街中にあって一段と引き立っている。洋服を着たインド女性はいなかった。

夕食はターバン博物館の傍で、ジャイプールの民族舞踊、ラジャスタンを楽しんだ。頭に壺を次々と重ねて巧みに踊るのである。 スパイスの効いた食事は日本人には辛すぎるが、タンドリーチキンやスープはかなりイケル。ビールやマンゴージュースも美味かった。今晩は同じホテルに連泊である。
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| インド旅行(2)デリー |
インド旅行(2)デリー 10月1日

 初日に泊まったB級ホテルは 玄関フロントが食堂と兼用、ホテルの前は舗装なしの駐車場だった。 安旅のインドだから、覚悟は出来ていたが、チョット驚いた。他の客は殆ど居ないようだった。 先ずはデリーの市内観光。世界遺産、レッドフォートの外見をチョット見て、インド門、高い尖塔のクトゥブミナール、ムガール2代皇帝のフマユーン廟、スパイス・バザールと、33〜4°Cの灼熱の市内を現地ガイドさんに付いて回った。
英国人が造ったニューデリーは官庁が多く、緑が実に多い公園都市のようだ。しかし旧市街はリキシャーやトラック、バイク、自転車であふれ、警笛、騒音の渦である。道路は牛、犬、ラクダ、馬、豚、時には象と、何でもござれである。 道路の両側は舗装もなく、ごみの山。この露天で様々な物を売り、牛や犬はゴミを漁り、人々は食事し、おしゃべり、昼寝、大小の用足しまで済ましてしまうのである。彼らにとって道路は重要な生活スペースなのだ。
 壮大な名所旧跡も素晴らしいが、バスの車窓から映し出される道端の光景は生活がにじみ出て、目を奪われるばかりだ。50年前の日本と似ているが、こんなに汚れてはいない。 ともあれ、デコボコ道をガタガタバスに揺られ、4〜5時間かけて今夜の宿泊地ジャイプールへと急いだ。
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| Namaste インド旅行(1) |
Namaste インド旅行(1) 9月30日

中国に続く世界第二の人口を占めるインドを旅行した。 中国同様、著しい発展途上の大国である。 以前から激変する世界の中で、歴史、宗教、文化においても疎遠だったインドを見ておきたかった。
インドはユーラシア大陸の中心に位置し、地図上ではさほど広く感じないが、国土は世界第7位、人口は第2位の12億人の多民族国家である。 インドと言えば、1.カレーライス、2.お釈迦様の生誕地、3.ガンジー、4.象の国、5.ヨガ等が思い浮かび、日本人と関係が深い国でもある。
インドは刺激的で、体験者によると好き嫌いが極端に別れるそうだ。 JTB旅物のツアーは添乗員なしの11人、男性は2名のみ。12:30、期待と不安を取り混ぜて、成田よりデリーへJAL直行便で飛び立った。 時差を追いかけ、8.5時間後のインディラ・ガンジー空港到着は18時頃となっていた。 今回のツアーはヴィザ申請代からサーチャージを含め6日間で15.8万円の安旅である。他の参加者は全員デラックスホテルのオプションを取っていたので、デリーは家内と二人のみBクラスのホテル泊となり、チョットみじめな思いをした。

ホテル到着後、「ティラカ」の装飾体験をし、旅行の無事を祈願した。エアコンはあったが音がうるさく、夜中は外から聴こえる猫の鳴き声と若者の話し声にもめげず、時差による睡眠不足の力を借りて眠ってしまった。 どうもインド=汚いのイメージにより、同行のオバチャン達は皆、ホテルをグレードアップしたようだ。

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| 月下美人 |
月下美人 9月14日

震災で奇跡的に残った陸前高田の海を照らす一本松の十五夜は実に印象的だった。大震災津波で亡くなった人々を癒す鎮魂の光なのだろうか。
その中秋の名月から二日後、庭の月下美人が今年も咲いた。開花日は月齢とは無関係らしいが、我が家の月下美人は満月の頃に咲くことが多いようだ。 月光に照らされ、芳香を放つ大輪の白花は艶めかしいばかりである。朝の光と共に萎んでしまう佳人薄命の、はかない一夜花である。 十五夜は竹取物語を思い起こす。満月の夜に月下美人の如く、かぐや姫は地上から去っていくのである。
月下美人の果実はDNAの異なる株の花粉と交配すると結実し、同じサボテン科のドラゴンフルーツのような実が生るそうだ。 花も食用になると聞いていたので、鑑賞後、この妖艶な美人を三杯酢のおしたしで食べてみた。表面はぬるりとし、シャキシャキとした食感が快く、リッチな気分になった。
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| Loach minister |
Loach minister 9月7日
 Finance minister Yoshihiko Noda won the DPJ presidency and became the 95th Japanese prime minister. He’s not been remarkable person though at party’s election, he gave very rhetorical speech. He called himself ’ loach (dojou) minister’. He modestly said ‘It can’t be helped if loach imitates gold fish’. He dare made his sales point unrefined one’s father image. But his speech appealed freshly in the DPJ where many politicians like to show themselves remarkably. Not only his looks but his carrier is also earth smelling. He was born in Funabashi Chiba Pref., son of a self-defense member, went to local schools till senior high and graduated Waseda University.
He’d wanted to be a journalist but happened to enter Matsusita seikei-juku which Panasonic founder Konosuke Matsushita has founded for bringing up next politicians and business leaders. He studied under Konosuke’s discipline as 1st graduate. As he had no fame, asset nor supporters to be politician, so he’d continued to deliver speech standing at stations. Sometimes making joke ‘Station studying abroad is NOVA, Station speech is NODA’.
Hatoyama was an idealist but lack of integrity. Kan was decisive but lack of leadership and coordination. Then how the 3rd DPJ prime minister Noda will be? New prime minister made his cabinet balanced DPJ sects including Ozawa group as he commented ‘No side’.
Dojou lives in dirty mud world so I’d like to expect him to coordinate his cabinet members. He has three favorite writers whom I also love, Ryotaro Shiba, Shuhei Fujisawa, Shugoro Yamamoto. This is because such qualities as dreams, pride and human kindness that are essential to politicians. These are condensed in their novels. This is the last chance for DPJ.
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